2014年6月26日木曜日

【History】 モータースポーツ120年の歴史⑦       ~第二次世界大戦後のシルバーアロー~ 第二次世界大戦後のダイムラー・ベンツAGは、乗用車生産...

【History】 モータースポーツ120年の歴史⑦ 

     ~第二次世界大戦後のシルバーアロー~



第二次世界大戦後のダイムラー・ベンツAGは、乗用車生産の再建を最優先とし、モータースポーツ活動は休止していました。

しかし、1951年になると再びモータースポーツへの気運が社内で高まります。最初にレーシングスポーツカーとして製作した新型300SLは、1952年5月イタリアのミッレミリアで復活し、2位に入賞。そして、フランスのル・マン24時間耐久レースでの1-2フィニッシュなど最初から圧倒的な強さを見せたのです。



300SLが圧勝している一方で、1954年から新しいレギュレーションとなるF1グランプリへの復帰を目論んでいました。メルセデスの野望はスポーツカーとF1でのダブルタイトルであり、W196という革新的なF1マシンを作り上げました。



W196はデビューレースとなった1954年7月4日にフランスGPで、1-2フィニッシュという「シルバーアロー」の復活を果たします。ドライバーはファン・マヌエル・ファンジオとカール・クリングで、その後のGPでも、どちらかが必ず表彰台に上がるという好成績でファンジオがF1チャンピオンとなります。

翌年、メルセデスのレース部門はいよいよF1とスポーツカーのダブルタイトルへと動き出します。改良されたW196は最高速が時速300kmを突破。F1では圧倒的な強さを見せます。そして同じエンジンをスポーツカーの300SLRに搭載してミッレミリアに挑戦して見事に勝利を飾ります。



その後も勝利を重ねたW196と300SLRですが、悲劇はル・マン24時間耐久レースで起こりました。300SLRはライバルと接触し、一緒に観客席に飛び込むというクラッシュが発生。死傷者も出たモータースポーツ史上最悪の事故となったのです。レースは続行されていましたが、メルセデスは多数の死傷者が出たこと鑑み、走行している他の300SRLをピットに戻して、レースを棄権しました。

この事故はその後レース界に影を落とし、同年は中止となったレースが数多くありました。その中でファンジオが2年連続でF1チャンピオンになりましたが、スポーツカーは苦戦していました。そのため終盤戦では、かつてない物量とスタッフを投入し、奇跡の連勝劇を実現。ついに念願のスポーツカータイトルを奪取します。



悲願のタイトルを手にしたメルセデスですが、同年でF1やスポーツカーなどのメジャーなモータースポーツ活動から撤退しました。これはル・マンの事故によるものではなく、事前に計画されていたことでした。



これで第二期となる「シルバー・アロー伝説」は幕を下ろします。



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